謂れとかたち
鶴谷八幡宮拝殿の懸魚
(千葉・館山市)

鶴谷八幡宮の由来
鶴谷八幡宮は平安朝の初期、凡そ一千年程前
安房国の総社として国府の地(現在南房総市府中)に創建された
三芳村府中に元八幡と称する小さな神社は、当社が府中にあった所の跡
源氏は八幡大神を氏神として崇敬したので、総社の祭神の中の八幡大神が特に崇敬されるようになり
総社が改変されて八幡宮となり、鎮座地も現在の処に移されたと伝えられている

永正5年(1508)に里見家第三代領主義通が社殿を再建したのを始め
義豊、義尭、義弘、義頼、義康等が代々社殿を修理奉納している

徳川幕府も里見氏のあとをうけ、同じく171石の社領を寄進している。
明治維新になり、明治6年に郷社に列せられ、後昭和15年に県社に昇格した

現在の本殿は享保5年(1720)に造営されたもので、館山市の文化財に指定されている
幣殿拝殿は大正12年の震災に倒潰し昭和7年に復興された
建物の構造及び大きさ等は凡そもとの通りであり、彫刻等は古いものをそのまま用いている
特に向拝の天井の竜の彫刻は房州の名工後藤義光の作で館山市の文化財に指定されている
【鶴谷八幡宮のホームページより要約】


鶴谷八幡宮 一之鳥居


鶴谷八幡宮 二之鳥居


拝殿


拝殿正面

拝殿の懸魚(げぎょ)
「懸魚」は神社仏閣の破風(はふ:切妻屋根の妻側の三角形の部分)に取り付けられる
「懸魚」は「掛魚」ともかかれ、「けんぎょ」と呼ばれることもある
魚を吊るしたような形に似ていたことからこの名がついた

建物の一番の敵は火災、名前に「魚」がつくことから「防火」を願って昔からつけられていた
向拝の屋根の唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通》に龍の彫刻を見る

向拝の屋根にも多く見られ、曲線状の装飾的につくられた屋根を呼ぶ
唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通 (唐破風懸魚)》のところに龍の彫刻を多く見る
唐破風などにつけられた懸魚は、懸魚の範疇を越えて華美な彫刻になっている


屋根の懸魚と向拝の龍の彫刻


懸魚


懸魚


懸魚と下部


後藤利兵衛橘義光の生誕200年祭  砂埃が舞っている 【2015/05/05】

撮影:2012/11/14&2015/05/05
121116/210328
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