龍の謂れとかたち
上野不忍池弁天堂の龍の天井絵(児玉希望 画)
弁天堂
寛永2年(1625)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した
不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで
常陸下館城主の水谷勝隆が池中に中之島(弁天堂)を築いた
竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)の大弁財天を勧請し、弁天堂を建立
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられた
弁天堂は、昭和20年の空襲で焼失し、昭和33年9月に再建された
弁天堂本尊は慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天
脇士は毘沙門天、大黒天である
【台東区教育委員会 案内板より】
本堂の天井絵
本堂天井には《金竜》の図が画かれている
昭和41年に児玉 希望画伯により描かれたもの
児玉 希望(こだま きぼう)
本名は省三(1898年~1971年)
広島県高田郡(現安芸高田市)出身の水墨に生きた日本画家
小さい頃から絵に親しみ13歳にして院体画に習った細密な武者絵を描いている
川合玉堂の門に入る
1918年帝展審査員 1959年日本芸術院会員 1970年勲三等旭日中綬章受章
画塾の門下には佐藤太清、奥田元宋、船水徳雄らが在籍した
上野不忍池弁天堂
本堂天井の《金竜》の図 |
右上にある銘 |
昭和41年に児玉 希望画伯により描かれた《金竜》
不忍池弁天堂
住所:東京都台東区上野公園2-1
弁天堂のお守り
手水舎の龍の彫刻
手水舎の龍の吐水口(旧)
手水舎の龍の吐水口(新)
手水舎の天井絵
120110/120127
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