謂れかたち
東玉川神社:唐破風の懸魚の龍の彫刻(東京)

東玉川神社
三百有余年前に、長野県諏訪大社から御分霊を勧請して鎮守の森に建立
地名は当地に鎮座していた諏訪社に由来し、別当寺は等々力村にあった西光寺(廃寺)
当地一帯は旧等々力村諏訪分(大平分)という小さな集落だった
1889年(明治22)に8村が合併し玉川村となる
(等々力、用賀、瀬田、上野毛、下野毛、野良田、奥沢、尾山)

1909年(明治42)に諏訪社は熊野神社(現・玉川神社)に合祀された
1932年(昭和7)の世田谷区発足に伴い、玉川村から独立し東玉川町となる
諏訪社再興の動きが起こり、旧諏訪社の社地が確保された

社殿を造替した渋谷氷川神社から譲り受け移築
1939年(昭和14)に拝殿、1940年(昭和15)に本殿(約400年前の建物)
1941年(昭和16)野毛に鎮座していた日枝神社を遷座、社号を《東玉川神社》として再建



東玉川神社 入口正面 【写真提供:「御朱印・神社メモ」管理人さんのご厚意】


訪問した日は桜の木の伐採工事が行われていました


東玉川神社 社殿正面

唐破風の懸魚(げぎょ)
 破風(はふ)とは、切妻屋根の妻側の三角形の部分を言う
唐破風屋根は、向拝の屋根にも多く見られ、曲線状の装飾的につくられた屋根を呼ぶ
唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通 (唐破風懸魚)》のところに龍の彫刻を見る


東玉川神社 社殿の向拝と唐破風


懸魚


頭部

所在地:東京都世田谷区東玉川1丁目32−9
電話:03-3720-0007
200706
向拝の天井絵  向拝の龍の彫刻  向拝柱の木鼻
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