龍の謂れとかたち


謂れかたち

川端龍子〜龍子記念館・住居とアトリエ〜

川端龍子(本名昇太郎 1885〜1966)は10歳の時和歌山から家族とともに上京、日本橋蛎殻町で育つ
徳富蘇峰が主宰する国民新聞社に入社、挿絵画家・漫画家として活躍
大正2年(1913年)に渡米した際ボストン美術館で日本画に魅せられ、油絵から日本画へと志向の転換
大正3年に処女作《観光客》が東京大正博覧会で入選

龍子記念館
龍子は喜寿を迎えた昭和27年に自らの設計により龍子記念館の設計に着手し、翌28年に開館
この記念館は上から見ると「竜の落子」のかたちをした建物
東洋と西洋の建築様式を総合した独創的な幾何学的建築
画伯の没後は社団法人青龍社によって運営
平成2年12月、青龍社の解散に伴って、記念館と所蔵作品等が大田区に寄贈された

 
大田区立 龍子記念館 全景                               鳥瞰  Google Earthより


建物の外壁にあったものが展示室の入り口におかれている

住宅とアトリエ
大正9年に現在の臼田坂下に住宅とアトリエを新築し、ここを御形荘(おぎょうそう)と名付けた
巨大なアトリエは、大作製作の必要から昭和13年に建築
昭和20年の爆撃で母屋が全壊
昭和23〜29年に増改築を重ねた
龍子の唯一の趣味としての建築は、龍子持ち前の器用さと熱心さを反映して素人の域を脱する
龍子記念館と屋敷内の建築のすべては、龍子の意匠によるもの

住宅とアトリエに見る龍のかたち
龍子は住宅とアトリエに龍をイメージを仕掛けた

 
住宅の門から建物の入り口へのアプローチは龍の体   敷石の模様は龍の鱗

 
住宅の窓のレリーフは龍のイメージ(左は外部、右は内部より見る)

 
アトリエへの入り口の扉や腰板の模様は龍の鱗をイメージ

龍子による龍の天井画
浅草寺本堂の天井画、目黒不動尊本堂の天井画、池上本門寺祖師堂天井画などを今も見ることが出来る
浅草寺本堂の天井画:写真
目黒不動尊本堂の天井画:天井画を絵馬
池上本門寺祖師堂天井画:説明


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