謂れとかたち
上野東照宮の唐門にある左甚五郎の竜の彫刻

上野 東照宮
元和2年(1616年)藤堂高虎と天海僧正は危篤の家康に呼ばれ、
末永く魂鎮まるところを作ってほしいと遺言された
寛永4年(1627年)に藤堂家の屋敷地に東照宮を造営した
しかし家光は慶安4年に現在の社殿を金色殿として造営替えし、江戸の象徴とした
手前から拝殿・幣殿・本殿からなり、その様式を権現造りという
平泉の中尊寺光堂と並んで日本に二つしかない金色殿
明治40年に国宝指定
祭神:徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜
【東照宮略記(現地の説明板)・縁起などより】


全景

唐門
日本に一つしかない金箔の唐門(唐破風造りの四脚門)
扉には亀甲の透彫り、門柱には左甚五郎作の昇竜・降竜の高彫
門の側面左右上部にある松竹梅に錦鶏鳥の透彫は精巧を極めたもの
明治40年に国宝指定
講談「名工甚五郎の水呑みの竜」の紹介を最後尾に
【現地の説明板より】

最後尾に透彫も紹介している

唐門


左甚五郎作の昇竜・降竜の高彫

    
左甚五郎作の昇竜・降竜の高彫(正面より見る)


【唐門を内側より見る 左右2枚の写真を合成している 070713

    
左甚五郎作の昇竜・降竜の高彫(内部より見る)

講談「名工甚五郎の水呑みの竜」
三代将軍家光が上野寛永寺の鐘楼建立にあたり四隅の柱に
甚五郎をはじめ木彫の名人4人を選んでそれぞれ1匹ずつの龍を彫らせる
甚五郎の彫った竜だけがなぜか夜な夜な柱から抜け出して
不忍池に水を飲みに降りるようになり大騒動となる
そこで甚五郎が「可愛そうだが足止めをする」と言って
金づちで竜の頭へくさびを打ち込むと、
その夜から竜は水を飲みに降りなくなった という話

寛永寺の跡地に昔の鐘楼と鐘は残っているが、鐘楼の四本柱に龍の木彫はない
すぐ傍の上野東照宮の金箔の唐門の四脚の額面に美事な昇り竜・下り竜の高彫りがあって、
東照宮ではこれが甚五郎作の「水呑み竜」だと伝えている
【YOMIURI ONLINE 講談師 神田松鯉 07/02/07 より要約】

錦鶏鳥松竹梅の透彫
門を入ったところの両側にある錦鶏鳥と松竹梅の透彫は
室町・桃山の技術が集大成されたもの
門の扉が開いていると 扉の影になるので見えない
写真は、透彫を裏側から撮影したものである


唐門を入った右側 錦鶏鳥の透彫


唐門を入った左側  松竹梅の透彫

070509/070713/070716
燈籠の龍のレリーフへ
修復された唐門の龍の彫刻
龍の謂れとかたちのTOPへ