江の島は龍の島

【メルマガIDN編集後記 第251号 121001】

 今年は辰年。前号までに、《龍に見立てる》いくつかの例を紹介した。今回は龍の島としての江の島を紹介する。江の島は湧出以来、龍の棲む所となり、龍神信仰は弁財天信仰と習合され、人々の信仰を集めて来た。そして龍に関しては伝説が残されており、全島に龍のかたちをたくさん見ることができる。

江の島へのアプローチにある燈籠
燈籠に龍が刻まれている


江の島の玄関口にある青銅の鳥居
扁額に龍の彫刻があしらわれている


中津宮(上之宮)の向拝の龍の彫刻


女性の象徴をすべて兼ね備えている妙音弁財天

【写真:笹間良彦著 図説 龍の歴史大辞典】


奥津宮(御旅所・本宮)
ひだり側のしゃもじに龍の絵がある


龍宮(わだつみのみや)の入口の上部にある龍大神
口に龍珠をくわえている


江の島の由緒

 社伝によると、欽明天皇13年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ 一歳二度の祭祀この時に始まる」とある。 これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されている。

 江の島は、鎌倉時代のころまでは全島が信仰の対象とされて、みだりに島へ渡ることはできないようになっていたが、江戸時代には弁天信仰の地として栄えた。

 突然海底から浮き上がったといわれる江の島の誕生の不思議さと、五頭竜と天女の伝説が語り伝えられることによって、弁才天への信仰がさらに高められてきた。

江の島神社と弁財天
 辺津宮(下之宮)・中津宮(上之宮)・奥津宮(御旅所・本宮)の三宮を総称して江島神社と称している。
 祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約し時に生まれた神で、三人姉妹の女神。辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、中津宮の市寸島比賣命(いちさしまひめのみこと)、奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、この三女神を江島大神と称している。
 古くは江島明神と呼ばれていたが、仏教との習合によって、水神(龍神)である市杵島姫とも同一とされた。
 弁財天は妙音弁財天と混同されて一神となったもので、海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれている。

五つの頭を持つ龍と弁財天の伝説
 1400年も遠い昔のこと、鎌倉の深沢に、五頭竜が棲すんでいた。悪い龍で、山くずれや洪水を起こし、田畑を埋めたりして村人を苦しめていた。そして、日村の子を食うという悪行の数々を重ねた。

 欽明天皇13年4月12日、大地震が起こり、山はさけ、沖合からは高波が村をねらっておそいかかってきた。地震は十日のあいだつづいておさまったが、23日の辰の刻(とき)に、こんどは海底から大爆発が起こり、まっかな火柱とともに岩が天までふきあげられて、小さな島ができた。これが江の島。

 この時、天から美しい姫が紫の雲にのり、2人の童女をつれて島におりてきた。五頭竜はこの美しい姫をわが妻にむかえることを望むが、天女はあらんかぎりの罪をおかしてきた者の妻にはならぬと断る。天女に諭された五頭龍は改心し、天女と結ばれる。

 それからの五頭竜は、ひでりの年には雨をふらせ、みのりの秋には台風をはねかえし、津波がおそったときには波にぶち当たっておし返した。しかし、そのたびにからだがおとろえた五頭竜は山となって村を守ることとする。これが片瀬の竜口山。
 村では、ここに五頭竜を祀った社を建て、竜口明神と名づけた。

 天女の弁財天は、かつては中津宮に安置されていたが、辺津宮の南隣にある八角円堂(弁財天奉安殿)におかれている。

 《裸弁財天》とも呼ばれる妙音弁財天像は、琵琶を抱えた全裸の坐像。女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる尊像で、鎌倉時代中期の作と考えられている。本来は裸像ではなく、これに天部の婦人の衣装を着せて安置されていた。

 60年に一度の《巳年式年祭》のときには、木彫りの五頭竜を竜口明神からみこしにのせ、江の島へつれていって江島神社に奉られている天女の弁財天とあわせている。

龍宮(わだつみのみや)
 《わだつみ》という言葉は、万葉集に頻繁に使われており、語源は《海(わた)つ霊(み)》で、海の神をさす海神。今では海そのものを意味するようになっている。

 江の島の龍宮(わだつみのみや)は、平成6年9月吉日に岩屋洞窟の真上に鎮座となった。
 五頭龍は江の島の正面にある龍口寺に祀られたが、龍宮(わだつみのみや)にも御祭神《龍宮大神》として祀られている。
 龍宮の入口の上部には、口に龍珠をくわえている龍大神がおかれている。

龍宮で思い浮かべると浦島伝説
 浦島は 助けた亀に連れられて 龍宮城に行き 乙姫様のごちそうや鯛やひらめの舞踊りで 月日のたつのも夢のうち 遊びにあきて気がついて いとまごいもそこそこに 帰って見れば顔も知らない者ばかり 心細さに玉手箱の蓋取れば 中からぱっと白けむり たちまち太郎はおじいさん

 我々が知る浦島太郎の唱歌の内容であるが、浦島の話は、『日本書紀(瑞江浦島子)』、『万葉集(水江浦島子)』、『丹後国風土記(筒川島子)』、『御伽草子(浦島太郎)』の中にその記述がみられる。

 浦島太郎という名前で登場するのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』からであり、今日の浦島太郎のイメージは、明治時代の巌谷小波が子供向きの読み物『うらしまたろう』によると言われている。

 浦島太郎と似通った伝説や物語は、福井県や沖縄にも、また、ヨーロッパ、中国、朝鮮にもたくさんあることを知った。
 これらの物語では、浦島が龍宮である常世へ行き着くまでのプロット、禁忌を課す玉手箱の形態と役割、玉手箱を開けたときの結末には、それぞれに差がある。
 龍宮での乙姫との贅沢三昧な暮らし、その生活に飽きて戻りたいとの里心、タイムスリップなどは似通っているように見える。

 浦島に関わる書籍もたくさんあることを知った。常世とは何か、常世の国と人の世をつなぐ仕掛け、タイムスリップ、玉手箱の形態と役割、結末のプロット、これらについて研究してみると面白いと思う。

エピローグ
 坂田千鶴子氏(東邦学園短期大学教授)は、自著『よみがえる浦島伝説』を講義した後で、《自分だけの浦島物語を創作して絵本を作ること》を課題にしてきた。本書には、面白くて奔放な事例が紹介されている。以下はそのひとつを要約して紹介する。

 浦島は、助けたカメにゴージャスな世界へ連れて行ってもらい、スタイル抜群の乙姫と夫婦になり、ゴーセーなディナーを食べ、お酒を飲んで毎日を楽しみます。
 飽き性の浦島は、ここでの生活と彼女にも飽きて、元の生活に戻りたいと言うと、彼女は泣いてすがります。浦島が帰ろうとするときに、「私のことを思いだしたらこれを開けてね」と言って、乙姫は浦島にプレゼントをあげます。
 浦島が戻ったところは何百年後の世界。パニックに落ちいった浦島はプレゼントのこと(彼女ではなく)を思い出して開けたら、白い煙が出て、白髪、白ヒゲのジジイになってしまいました。
 その頃、乙姫は、第二の浦島を求めて、手下のかわいいカメを子供たちのいる海へ向かわせていたのでした。

 これは、1995年に、短大生によって絵本に書かれた浦島物語である。浦島物語のパロディとして、現代の若い世代の世相をよく表現している作品だと思う。

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