謂れかたち
成田山で出会った龍と仲間たち

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 成田山の釈迦堂(前本堂)の龍の彫刻 千葉・成田 061228/
 
安政5年(1858)に建立された成田山の前本堂。大本堂の建立に当たって昭和39年に
 大本堂左奥に移築された。正面上部の入母屋に龍の姿を見た。
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 成田山新勝寺 総門の十二支の彫刻 千葉・成田 090604
 成田山明王院新勝寺は天慶三年(940)真言僧寛朝大僧正によって開山される
 開基1070年祭記念事業として建立された総門には獅子頭、十二支の蟇股により荘厳されている
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 成田山新勝寺開基1080年祭記念大開帳 俱利伽羅龍王剣札守 180602
 成田山の開基から1080年目を迎え10年に一度の御開帳を奉修し、様々な行事が行われた
 大本堂内陣参拝された方に倶利伽羅龍王の朱印を押印した「剣札守」が特別に授けられた
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 成田山 三重塔の龍の彫刻 千葉・成田 061228/
 正徳2年(1712年)に建立され、3回の大修理を経て、昭和58年にかけて現在の姿に復元された。
 各重の尾垂木の先端部は龍の丸彫りで飾り、脇間板壁には十六羅漢の彫刻をめぐらせている。
 軒板には雲紋を浮き彫りにして極彩色を施している。【写真をクリックすると拡大します】
 成田山新勝寺の額堂 木鼻(きはな)龍鼻 200727
 額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建築物。文久元年(1861)に建立された
 額堂は虹梁や木鼻など細部まで本格的な建築物。龍や獅子の彫刻は後藤勇次郎経慶の作
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 成田山新勝寺 参道にある燈篭の火袋の所にある龍の彫刻(千葉・成田市) 090611
 仁王門に至る石段の下の両側、仁王門の手前、石段を上がりきった所に燈篭がある
 燈篭の火袋の所に昇龍と降龍のレリーフレリーフがある
 【写真をクリックすると拡大します】 金属・火袋
 成田山新勝寺 俱利伽羅龍 200317
 俱利伽羅不動(金属製)は仁王門から大本堂へ向かう石段を上がったところの右側にある
 磐石の上に剣が立っていて、それに倶利伽羅龍が巻きついている
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 成田山新勝寺の俱利伽羅不動尊 200316
 俱利伽羅不動尊は仁王門から大本堂へ向かう石段の左脇の斜面にある
 倶利伽羅龍王が巻き付いた姿は、不動明王の化身と崇められてきた
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 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額1-倶利伽羅剣 250122
 光明堂は現在の本堂の前の「新本堂(現在の釈迦堂)」、その前の「旧本堂」
 光明堂主面にある扁額の中央に倶利伽羅剣(倶利迦羅剣)が置かれている
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額20
 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額2-倶利伽羅剣 250202
 釈迦堂が造営された移築の際、縁側と外陣の床を撤去して土間に改造された
 光明堂の外陣にある扁額の中央に倶利伽羅剣が、周辺に龍の彫刻が置かれている
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額21
 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額03-御手長(千葉・成田市成田) 250203
  神の「御手」が長く続くようにと願いを込めて中央に「御手長」と書いてある
 「彫工 後藤正忠門弟 後藤市蔵正國」と記されている
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額22
 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額-4-青銅の龍 250216
 光明堂は二代目の「旧本堂」。三代目が「新本堂(現在の釈迦堂)」、四代目が現在の大本堂
 光明堂の左側面壁にはたくさんの額が奉納されている。青銅の龍の奉納額もそのひとつ
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額23
 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額-5-倶利伽羅龍(千葉・成田市成田) 250223
 光明堂の左側面壁にはたくさんの額が奉納されている。青銅の龍の奉納額もそのひとつ
 中央に蒼い倶利伽羅龍が彫られている
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額24 俱利伽羅龍10
 成田山新勝寺の光明堂の龍の奉納額-6-倶利伽羅剣と白龍(千葉・成田市成田) 250302
 光明堂の背面壁に額が奉納されている。白龍の奉納額もそのひとつ
 中央の倶利伽羅剣の左右に龍が彫られている
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額25
 成田山新勝寺の額堂 E01-中央に倶利伽羅剣のある奉納額
 額堂には、名が示すようにたくさんの奉納額や絵馬が掲げられています
 E01は正面(東面)の中央に見ることが出来ます
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額26
 成田山新勝寺の額堂 E04-倶利伽羅龍の奉納額 250316
 額堂は文久元年(1861)に当山で2番めの額堂として建立された
 E04は正面(東面)の中央の左の柱の上に見ることが出来る
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額27
 成田山新勝寺の額堂 俱利伽羅不動の額 200725
 成田山新勝寺は、日本の千葉県成田市にある真言宗智山派の寺
 額堂にはたくさんの奉納額や絵馬を掲げられている
 【写真をクリックすると拡大します】 俱利伽羅龍 扁額28
 成田山新勝寺の額堂の奉納額 S03 俱利伽羅龍(千葉・成田市成田) 250330
 額堂にはたくさんの奉納額や絵馬を掲げられている
 S03は左面(南面)の中央の柱の上にある
 【写真をクリックすると拡大します】 扁額29 俱利伽羅龍
 成田山新勝寺の額堂 龍の彫刻がある奉納額 (千葉・成田市成田) 200725
 成田山新勝寺は、日本の千葉県成田市にある真言宗智山派の寺
 額堂にはたくさんの奉納額や絵馬を掲げられている
 【写真をクリックすると拡大します】 額堂 扁額17
 成田山新勝寺 仁王門の提燈の底の龍の彫刻  090605
 仁王門は文政13年(1830)建立、天保2年(1831)再建。国指定の重要文化財
 提燈は、昭和43年4月大本堂落慶記念に東京魚がしより奉献されたもの
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 成田山 手水舎 千葉・成田 061230
 06年の暮れの28日におまいりに行った。
 手水舎では青々とした竹に変わり、新しいひしゃくが準備されていた。
 【写真をクリックすると拡大します】 Instagram-手水37
 成田祇園祭 成田山の山車の龍 090721
  昭和63年、成田山開基1050年祭を記念し五世宮惣が5年の歳月をかけ製作した江戸型山車
 2段にせりあがる重層三層柱立囃子台つき 人形は川本喜八郎氏制作の日本武尊
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 成田祇園祭の山車と屋台 2009 090714
 成田山祇園会は成田山新勝寺のご本尊《不動明王》の本地仏である成田山奥之院大日如来の祭礼
 御輿の渡御と各町内会の10台の山車と屋台が若者衆によって引き回される
 【写真をクリックすると拡大します】 2009年7月12日の9台の山車と屋台総引きの様子を紹介 
 成田祇園祭 上町の屋台の龍 090718
 江戸時代の後期に千葉町院内の宮大工によって造られた純然たる彫刻踊り舞台
 平成14年に一世紀ぶりの大改修を行う 屋根・柱・土台・彫刻はすべて欅つくり
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 成田祇園祭 本町の山車の龍 090721
 本町の山車は明治35年製の二層鉾台囃子台欄間型江戸山車
 山車は上・中・下段の3段よりなり、その上に人形が立つ 上段は競りあがり式
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 成田祇園祭 東町の屋台の龍 090721
 昭和初期の屋台を模して昭和53年に製作された二代目の屋台 正式には引き回し屋台とよばれる
 総欅造り、銅板瓦葺き総漆塗り仕上げ 市で最大の屋台 柱には上り龍の彫刻が施されている
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 成田祇園祭 成田山の山車の龍 090721
  昭和63年、成田山開基1050年祭を記念し五世宮惣が5年の歳月をかけ製作した江戸型山車
 2段にせりあがる重層三層柱立囃子台つき 人形は川本喜八郎氏制作の日本武尊
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 成田祇園祭 仲之町の山車の龍 090720
 明治33年、東京神田にて製作された成田最古の華麗な江戸型山車
 人形は「神武天皇」 身の丈は6尺、装束は白地に金襴で雲龍の模様
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 《房総のむら》の町並みにある薬屋の看板の龍  090822
 《房総のむら》は、江戸時代後期から明治初期の千葉県の農村と町場を再現している
 常設展示として再現されている町並みの中にある、薬屋の屋根の看板の下に龍の彫刻がある
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